Category : 雑談

日田彦山線に乗ってみたい

水害であちらこちらの地上設備が痛手をこうむり、未だに開通していない日田彦山線、添田と夜明のあいだ。 この区間をどうするか?を前年度中に結論を出す予定だったのを土壇場で先送りする事になった福岡県。もちろんそれなりに理由があるわけですが、こんな時期だ、知事も相当困ったことだろう。 同じ水害でも山陽線なら話は簡単(のようだが)、でもこっちはそうもいかないようだ。かってに想像するにローカル線で橋が多くて、山沿いを走る上、同線で最も利用者が少ない区間、特急が走っているわけでもなく、かけられる費用を天秤にかけられ、採算を言われるとグウのネもでません。 そんなところにF君がやってきた。まだ若いのだが、僕と違って政治的な事まで食い込んでくるちょっとした博学。最近はめったにやって来ないだけにどんな意見が聞けるのか尋ねてみる。ー日田彦山線の話だけど、君の意見が聞きたいー 「え、電車の話ですか?通な話なんてできませんよ」-いやいや、鉄道かバスかって話ー 「ああ、復旧するのに、バス転換だったか、BRTとかで線路跡を道路にしてバス専用にするとかいう話でしょ?」-まだ決まってはいないみたいだけど。 「でもーあれっていつでしたっけ?水害になったの」-多分2年前くらいの夏だったかと・・・ 「でしょ、JRは鉄道を修復しない(積極的ではない)方向のだから、どれをとっても変わらないし、バス転換って話になるんじゃないんですか?」-まあ、そうだが・・・途中で地上設備を直してくれたら、走らせるってJR九州が提案したみたいだー 「直すのにも、その後のメンテにも相当費用がいくらかかる?って話で、問題が小さければ、もう直してる。だからバスと同じ考え方ですよね?バス会社は道路を直さない」ーまあ、そういうことになるか。 「結局、バスしか選択肢がないんじゃないですか、それって・・・」-いいぞ!そこで提案がある、それも鉄道で。 「はあ?そりゃまた大胆な、でもまた変なこと言い出すんじゃないでしょうね?」-いや、まじめに考えた。軽便はどうだ? 「へ!、ケイベン?」ーそう、JRの簡単なやつ。レール幅が3/4くらいで地上設備も簡単(のはず)半世紀前に無くなったみたいだ。 「-で、それだとどうなるんですか?」-良い食い付きだ!現ルートをそのまま使える。車両も簡略できるし、その分地上部分も(規格が)軽くなってコストも下がる。 「でも規格(線路幅)が違うんですよね?直通運転できないし、車両も現行じゃなくて新設でしょう?小さいと言えども全線現状復帰させる・・・そこをどうするかで議論しているんですよね?メリットがわかりません。」-いいぞ!普通に疑問点だ。まず直通運転の必要性が双方(JR、利用者)に無い(と思う)行っても北は日田、南に田川まで行けば乗り継ぎで十分だ。新型車両っていっても最高速度5-60kh、新幹線のようにスピードを競う必要がない。したがって線路(地上設備)にも負担が少なく維持費が安く済む(はず)。当然ながら計画自体を成り立たたせるには全線復旧になるが・・・。したがって車両に限らず、そのまま使えるモノは無いからすべておニューというところがネックといえばネック、どう? 「でも、バスだと一般道を使うし、BRTでも費用的には安くできるのでは?なぜ鉄道なのかよく分かりません、東峰村がこだわるのは知っていますが、その両側の自治体には駅がある、鉄道じゃなくても・・・ってことになりませんか?」-添田町も日田市も鉄道(駅)はあるからそう言う事になるなあ。実際大分県知事はBRTを支持したみたいだから。 「では、なぜ?」-鉄道が好きなのとあの区間の景色がいい!し、すごいトンネルがある! 「はあ?」-いや、ゴメン、まじめな話、実は自動運転だ。 「へ?」-流行の自動運転だ。車では普及までたくさんの障害があるが、ガイド(レール)に沿って走る理論はもう半世紀くらい経っているはずだし、鉄道はすでに実用化されている、将来的にはこれだ。 まず実験線から始めるが、過疎地であるがゆえに本数も少なく、踏み切り等の交通障害が少ない。一般道路を走る事を思えば、安全性もはるかに高い。車両だって小さく簡素化でき、バッテリーでもかなりの線でいけるだろう、仕組みが簡素化されれば維持費は安く済むはずだ。あとこれが重要だが、こういうシステムは過疎地ほど必要なインフラ整備ともいえ、実験的に進めるのに官民でできると思うのだが、どう?ー 「ふーむ・・・深いですね、言われればそうなりますが、半世紀前のケイベンがトヨタの未来都市のような話に繋がるところがわかりません」-まあ、分からなくとも自動化の将来性は鉄道(軌道)の方が断然早い、と思っているー 「でも、それは自動車やIT系っていう会社の方が、進んでいるように思いますが、鉄道より」-ああ、それは資金力が違い過ぎるのと次世代を狙っているからね、今のままではねえ・・・。リニアを開発するときまでかな?鉄道部門・・・特に東海以外はどうやって利益を確保するかで手一杯だろう。そんな未来の事業展開や利益が薄い事業より駅ビルを建てたいのが希望だろうから。でも、どう?ー 「話は面白そうですが・・・でも、事業自体は地味ですよね」-すまん、考えるとる方向が店同様、古臭くて地味なんだー 「費用は分かりませんが、実現不能ってこともなさそうですね」-いや、可能だ。バスは自由度が高いように思われがちだが、無くなる自由度も高い。BRTにしても(考え方は良い考えだが)将来は自転車道かな?っとも思っているー 「今時って感じはしますが、おもしろそうですね」-楽器と同じく、オールドテクノロジーが好きなもんで。考えといてくれんかなー 「はあ~ぼくが考えるんですか、何で?」-店は、今、内装工事中、それ以外は瞑想にふけっとるー 「知事に提案したらどうですか?」ーしたくとも、知り合いがおらんのだ。それに今は時間が取れんー

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山陽線 山口を横断してみた⑦

岩国出発、乗った電車は、115系の3000番代2枚ドアのセミクロスシート車で、今では岩国から西でないと走っていないタイプです。イエローのモノカラーより、以前のアイボリーホワイトにレインボーラインの方が、かっこよかったのに無くなったのは残念だなーと、独り言。数分で9穴レンコンで有名な南岩国に到着。以前は上りの発着がここからでしたが、今は、一部を除き上り下りとも岩国からとなりました。 藤生、通津、由宇とふたことで言える語呂の良さそうな駅名が続く。途中の海水浴場から栗のように小さく先の尖った島が見えますが、この近くで、戦艦陸奥は沈んだらしい。 家々の間からチラチラと海が見え、神代(こうじろ)を過ぎると道路を挟んで瀬戸内海と間近に並走。左手前方に見える周防大島がだんだん大きく見え、海と空を隔てるように横切る大島大橋の下をくぐると大畠に到着です。 加速する事も無く、四国行きのフェリー乗り場が見えてきたところが柳井港の駅、神代からここまでで、ヨン、ゴ、ロク文字の駅名。街の中心部に入ってから、線路跡が並走する。構内に入ると電車留置線が備わった、少し大きい駅が柳井駅です。なまこ壁の古い街並みが残り、重文か何かがあるはずですが、観光的には控えめな街とも・・・言えるかもしれません。ただ、行ったことがあるのは数十年前で、そのときはお土産になにかの饅頭を買って帰りました。その柳井を出発し、海からも離れて田園風景の中、長めの間隔で停車していく田布施 岩田 島田(3文字の三連ちゃんです) その昔、海水浴場で有名だった光を過ぎて、4〜5分走ると下松の手前、日立製作所 笠度工場が左手に。新幹線を作っているところでメタリックグリーンのE5系がみえました。すごーい長い鼻、さきっぽの丸い所をスケルトンにしたらすごい迫力だろうなーなんてしょーもない事を思いながら通り過ぎる。下松出発後、国道と並走、右手から岩徳線が合流してきて櫛ヶ浜(これまた、3、4、5文字のつながり)それから頭上からも新幹線も、左側の出光の精油プラント沿いに走ると徳山到着です。 4分停車後、在来線と新幹線の間の待機するディーゼルカーを横目に出発、少しして今度は複数の線路が見え始め、次の停車駅の新南陽駅まで続きます。EF210が1両だけ、「コキ100」はどこ行った? ーなんて言っていたが、新幹線から見たここ数年の貨物ヤードは、草の生え放題、どうも取り扱いを止めたみたい。 福川駅の次が戸田(ヘタ)ですが、この駅が変わり者(あくまでも駅的にですが)3面ホームで4つの乗り場、全部ではないが、かつて(新幹線開通前には)急行も停車していた。2線ではないかと思われる貨物用の引込み線(跡)まで備えているくらいだから大きな駅だったはず・・・。だが、周りには集落というほどの家が無い。観光的に言えば湯田温泉、、、ちょっと強引かなあ?と思うほど遠い。駅舎周辺や反対側にも大きな空き地があるので(調べてはいませんが)工場らしきものあったかもしれません。考えると不思議な立場の駅、だとー思っています。(国道のそばでちょっと寄れます)   その不思議な駅を出て長いトンネルを抜けると再び瀬戸内海に出た。セパレートになった小さなトンネルをいくつか抜けながら海岸線に沿って走りますが、静かな海がまぶしい。その昔、東京からの寝台特急が朝方に通過する時間帯なので、瀬戸内(海)を入れて撮ると絵になる所の一つでした。 左に右に緩いカーブ抜けると家並みに囲まれた小さな漁港が見えてきた、読めそうで読めない富海(とのみ)駅に到着。三日月のような入江に位置して、夏場の海水浴シーズンしか訪問客がなさそうな漁村は、街並みはおろか跨線橋のある駅も昔のまんま。大林宣彦さんの映画かなんかに出てきてもおかしくない風景です。 集落の節々にその名残が残る、旧山陽道の富海宿。撮影場所を探しているうちに小ぶりながら端正で威厳のある神社を発見。ちょっと検索してみると厳島、宗像と並ぶ女神様を祀られているのにはちょっと驚いた。他にも旧跡があり、昭和以前の落ち着いた建屋並ぶ家並みは、もう少し整備する気があれば半日程度を滞在できる観光地にはなれるはずです。 海沿いから家々が目立つ手前から高架線となり、乗り場は上り下りの2本だけ、規模自体はかなり小さくなった防府に到着。ずっと昔は小郡から入れ替え用に機関車がやってきて貨物の入れ替えをやっていました。地上部分はもっと充実してると思われますが、下車しないので不明。駅を出発後、いままでとは違い明らかにスピードアップ、高架を下りて大道、四辻と田園風景の中を走ると右手に扇型の車庫が残る新山口駅に到着です。 あの「やまぐち号」の走る山口線の起点駅、以前は小郡って名乗っていました。ここで接続のため、隣ホームの電車に乗り換えです。 乗り換えには十分な時間ですが、うどんだ、そばだ、なんてものもなく、改札の方まで行って様子をうかがい、戻ってくる。「やっぱり、SLの運行日くらいが一番の賑わいかなあ・・・?」と思って腰をおろすと間も無く出発。嘉川、本由良、厚東と昔からの家並みをながめながら、宇部駅に停車する。山陽本線の駅は市街地から離れているため、中心部にはここから宇部線に乗り換えます。広めのヤードが残り、駅の西側にJR貨物の貨物ターミナルがあってコンテナがたくさん積まれていました。小野田線の分岐駅である小野田を出発すると左手に砂利道のような側道が見えはじめる。かつて貨物列車が往復した専用線の跡で途中から右に移り本線に沿って厚狭まで続きます。石灰石列車が行き交ったレールは撤去されて、跡地は草に覆われ、その賑わいを見ることはありません。駅手前にみどり色の鉄橋がそのまま残る次の駅、厚狭は、行政区としては元山陽町(今は山陽小野田市)さきほどの石灰石列車の荷役を担った機関車たちが多数在籍し、その機関区とそれらの貨物ヤードを備え、先ほどの専用線で宇部、小野田方面と北の美祢の間を行き交い、国鉄時代は特急も停車するほどの駅で鉄道設備としては一大拠点でした。今も新幹線が止まりますが、貨物の取り扱いは無くなり、機関区跡はソーラー発電所、町の北側にできた国道バイパスのためもあって駅前はのどかさが漂います。 (厚狭駅の)新幹線側が新たに整備されてはいますが、「これ!」という物はなく、「アサ」って聞いても知る人も少ないだろう。そのかわり--見方を変えると住むには良さそうーとも思う。雑踏と排気ガスが恋しい人には向きませんが、秋には虫の音が聞こえそうだし、慢性的な渋滞があるとも思えない。ドサクサに紛れてサックスの練習もシレっと出来るかもしれない。福岡近郊に比べて多分地価も安め(のはず)、畑をかりて土いじりもできそうだ。瀬戸内の海も近いし、秋吉台にハイキングも楽勝で、山陰海岸へもひと山越えてのドライブするにもいい距離だ。街が恋しくなっても新幹線だと福岡くらいなら「こだま」で行っても40分少々、そうじゃなくても車やバスでなんとかなる。空港が不便だが、年に何回乗るか?だったら大したことじゃあない。これで新幹線で小倉辺りに通うのだったら遅くまであるし、20分前後だ、空いていて、時間的にも良いところじゃないかなあ?とも思う。もちろん手当が出れば・・・の話ですが。 と数分停車の間に考えていた厚狭駅を出発。正面にオートレース場が見える埴生、国道が見え隠れし、家並みが目立ちはじめて日清食品だのシマノの工場がある小月に停車していく。有名な武家屋敷のある長府、元は長門一ノ宮と名乗った新下関を過ぎると山陰線との分岐駅で車輌整備を行う工場(工場とは言わないかも?)がある幡生と来るともう終着駅もすぐそこです。大きな貨物ヤードを右手に見ながら東方へ向かうEF210の機関車群が見えてきて速度を落とし始めてホームに入線、下関に到着です。 昔ながらのホーム数がもったいないので山陰線に特急「まつかぜ」を復活させたら楽しいのに。博多からJR West持ちで4両編成のディーゼルカーを仕立て、下関で増結2両の米子行き、です。食堂車の「キロシ」かなんかをくっ付ければ、あの「瑞風」出なくても楽しめると思いますが、どうでしょう?

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宗谷本線 特急「宗谷」に乗ってみて ⑥

旭川駅出発からです。(札幌からの前半はこちら) 超様変りした旭川駅を出発、左にカーブして北に向かう。旭川四条、新旭川と市内を抜け、比布駅を通過、その昔に樹木希林さんとのTVCMで有名になった駅だ。まもなく緩い上りとなり、蘭留(ランル)を過ぎた辺りから、上り勾配が更にキツくなった。木々の中を左右にカーブが続き、特急とは思えないくらいの速度に落ちてエンジン音が軽くなったところで峠の頂上、塩狩駅です。対抗列車を見る事もなく通過。 下り坂とともに特急らしく快調に飛ばして次の停車駅、和寒(ワッサム)に到着する。 発車後、平坦で高規格線路に恵まれスピードアップ、合間に放牧された牛が見えてくるので、「・・・らしさ」を撮りたいところだが、カメラを構えてみると意外に水田の方が多い。その上それなりのスピードで時折出てくる防雪林に阻まれシャッターのタイミングが合わない。再び周りが開け始めて剣淵(ケンブチ)辺りでやっと「らしくない」水田より「らしい」農場が増え始めて少し気が楽になった。 町のちょっと外れたところにトヨタのテストコースがある士別(シベツ)に到着。ここで上り宗谷とすれ違う。 (春盛り) 士別を出発、北に向かって快調に走行、天塩川を渡ると再び水田が広がり40号線と並走する。家並みが増えはじめ、到着する手前くらいから旧深名線らしき砂利道が近寄ってきて、名寄(ナヨロ)駅に到着した。南北への宗谷線、旧深名線や旧名寄線の乗り換えや乗り継ぎ駅であったため、レール撤去後も広大なヤード跡が残り、国鉄時代には大きな鉄道拠点であった事が伺えます。ただこの跡地も有効活用は未定(と思う)、札幌近郊とは違いその使い道を考えるとかなり厳しい…。(採算性と初期投資を言わなければアイディアが無いわけではありませんが、それはまた別の機会でも・・・) 珍しく2分停車なのでホームに降りて販売機でコーヒーを買ってきた。それしか無いのもさびしい話ですが、せめて車内販売程度でもあるなら、もうちょっと楽しくなるかもーとは思うものの、とてもかないそうにはありません。 天塩川を左手に見ながら15分程度、小さな町並みが現れて美深(ビフカ)駅に到着、特急停車駅には…ふーむ、とても見えない(そんなこと言ってたらほとんど停車できないだろうーとの声も聞こえそうだが)かつてここから、添田線と並ぶ赤字路線の代名詞、旧美幸線が出ていまして、その終着駅が仁宇布(にうぷ)ってところです。 そこから廃線を利用した(動力式)トロッコに乗れます。夏場の約半年間だけだが、1回で1時間程の乗車、周りに都会的な変化は無いので雨にやられるとサッパリですが、降らなければ、白樺に囲まれ、時折鉄橋を渡る、非日常と十分すぎる解放感が味わえます。オススメは家族単位。 (冬盛り・・・う~サブ!) 札幌から約3時間、時間なりかそれ以上か・・・音威子府(オトイネップ)駅に到着。名寄からは民家がポツポツ見える程度でしたが、久しぶりに集落に・・・でも、ぽつぽつか・・って感じです。規模は「村」それも人口は3桁。今は静かな村だが、かつては旧天北線(浜頓別方面)との分岐駅であり、宗谷線の中間地点で北への鉄道建設拠点だったことから村が発展。3つのホームを持ち、宗谷、天北両線への急行や普通列車の拠点で、小さいながらも貨物ヤードのしつらえがあり、ターンテーブルのある少し煙った小さな機関庫をはじめ、給水、給炭設備、職員の詰め所があって、ジオラマにすると大きからず小さからずの程良い駅!その雰囲気が味わえなくなったのはとっても惜しいなあ!と、今でも思っています。当時は、立食いそばの店がホームにあって(あったと記憶)、その美味さが忘れられず、当時を思い起こしてあるかどうかの確認にホームへちょい降りしてみましたが、見当たらない。一日10本程度の発着しかないのはやっぱ・・ダメか。それとも移動したのか?それとも駅舎にもあるか?それとも・・・今後の課題です。 (その後、浜頓別行バスに乗ることになった時の事、以前から休業していたことを知る。いろんな状況から再開することはないであろうと聞いていたところ、今年になってご主人が亡くなられたとの話を道の駅で聞いた。 あの「まっ黒いソバ」は、二代に渡り100年もの歴史があり、自分が初めて食べたのは先代の時だったらしい。休業後、道の駅でその生そばが売られていたが、レシピを「引き継がせる」こともなく廃版、現在は地元で作られてはいるが、別のものとなっている。復活も望みたいが、新たなソバも新たな歴史を刻めることを期待したい) (咲来駅) 音威子府を出発すると旧天北線と別れるように左に大きくカーブし天塩川とベッタリとランデブー、「北海道ぽく」はありませんが、対岸の山手からの鉄道写真の撮影はお勧めの一枚です。川から別れて、10分程度でパステルカラーの小綺麗な家が周りに見える天塩中川駅に停車。乗降客はありまんが、散歩?の小学生の見送りがありました。 集落はおろか駅名もわからない片側ホームの駅を通過、それまで抜ける青空だったのに。問寒別(そのままトイカンベツ)駅あたりから曇ってきた。天塩川沿いの護岸が工事のため徐行運転。 名寄からの地上設備(線路)のダウングレードと春先のダイヤ改正によるスピード制限がかかり、宗谷(261系)的には全く面白くないスピードで北に向かっています。ま、いわゆるダラダラみたいな状態ですが、これはこれで景色と時間を楽しむには十分で、これだとやっぱりビュッフェがほしくなります。 大昔、軽便があった幌延(ホロノベ)駅に到着、駅員さんの姿がみえました。駅の端に少なからずコンテナが見えたので貨物取り扱いがあるようだ。 次の豊富(トヨトミ)で内陸部から日本海(側)に出て来ました、といっても海が見えるわけではありません。相変わらず曇り空、晴れてくれないかなあって祈る気持ちです。 兜沼を過ぎる辺りから一般にイメージするところの風景になります、サロベツ原野です。ただ、列車内からだと熊笹の生い茂った台地?や草原みたいなところを走っていて、ボヤっと眺めただけだと山ん中との違いがわかりません。ところどころ開けた所に出る(から見える)と牧草地が広がり、ポツンぽつんと家が点在しそうなのが、そうかなあって思わなくもない光景です。お、抜海(バッカイ)駅を通過しました。 この駅から歩いて約30分くらいで、港のある(抜海)集落に出ます。天候が何とかなれば夕景の利尻島が秀逸、中々お目にかかれない(はずな)ので、当たった時の訪問者には、ラッキイそのもの。小さいお宿が一軒、JRだとこの上もなく、大雑把な時間の使える方のみおススメです。 (のち訪問、こんな感じであとは天候) 熊笹の生い茂る台地(原野)を上ること5分程度、熊笹の原野から急に視界が大きく開けて、唯一の海の見える最高のロケーション!天気に恵まれると海の向こうに利尻島が浮かびますが、今日もあいにく天候、残念ですが、またもや利尻富士は空振りです。 下り始めてまもなくすると家々が見え、ゆったりとした速度で南稚内駅に滑り込み乗務員はここで交代。出発後まもなく右手に港が見え、減速していくと終点の稚内駅到着です。 さて、帰りは「サロベツ」かそれともバスで行くか・・・

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函館本線 特急「宗谷」に乗ってみた ③

「スーパー宗谷」で無いのは残念ですが、それでも乗ってみました「特急 宗谷」 早起きのつもりが、リミット近くまで寝てしまい、朝食もそこそこにして、足早に札幌駅に向かった。改札をぬけエスカレーターでホームに上がると乗客がもう乗り込んだあと。とりあえず先頭の写真だけ撮って自分も乗車する。 7時30分出発、3~1号車の指定席は半分程度の埋まり具合で、4号車の自由席は、なぜか満席状態。 しばらくしてJR北海道の車両基地で工場のある苗穂(ナエボ)そして白石駅を通過、平和駅のとなりにある広大な札幌貨物ターミナルを過ぎるあたりからさらに加速していくのだが、この辺からのスピード感とエンジンの回転音がなんとも心地よい。 岩見沢駅着、時間帯からか自由席のお客さんが大勢下車。向かい側ホームには滝川行き普通列車が待機中だが、乗り替えるお客さんは少なく大半はここで下車したよう。 (↑789系特急ライラック、でも先頭横の絵柄は毛ガニ 残念だが宗谷ではない。滝川駅を出て空知川に掛かる何連トラス橋が絵になるところだが、この手の橋が上手に撮れないのでオーソドックスな構図になってしまった) 10分ほどで美唄駅着、あれ?景色がぜんぜん違う!(ずっーと)前は、ホーム東側に貨物ヤード跡地が残り、駅正面から反対側に続く長ーい跨線橋(後日調べてみたところだと、砂川だったかもしれない)があったはずだが、その跡形がまるっきりない。いつの間にか再開発されて道路や駐車場、店が出来て札幌近郊の新駅のようだ。 車窓に目をやるとポツポツ、ゆめぴりか(「ななつぼし」かも?)の水田が目につきはじめる。 次の停車は砂川駅、同じく10分程度で到着。ここにも貨物ヤード跡があってパッと見にはわかりませんが空き地が目立ち、こっちはまだ未開発のよう(と思う)。 その昔、ここから10キロ程度の函館(支)線が、山手側の上砂川までありました。でも当時そのホームが理解できず、めんどくさくなって線路沿いに終点まで歩いたこと(アホなことやっていましたね)があります。帰りは上砂川からディーゼルカーに乗って戻ったのですが、その到着ホームが本線ホームから貨物ヤードを跨いだ反対側にあることが判明、(貨車があいだにあって)わかんなかったのにガッカリ。 ところでなぜそんなところまでわざわざ歩いて何しに行ったか?そこに三井砂川抗(跡はがありましてそれを見に行ってました。当時はちょっとした炭鉱(鉱山)オタクだったので…。 岩見沢以降、短い間隔で停車していますが、次は滝川駅。函館と根室の本線同士分岐点なので鉄道設備の重要拠点の一つでした。現在は釧路、帯広方面へは石勝線に移り、施設自体の効率化もあって、いくつかの電留線とディーゼルカー車庫、付帯設備が残るだけです。 その昔(平成の初め頃)、「見られなくなる!」との思いで立坑(正確には斜坑です、福岡にも跡があります)の滑車を見に、隣街の赤平に行った事がありました。ここは住友炭鉱だったと思いますが、クルクルと滑車が回るのを飽きもせず、ずっと見ていました(ここまでくると、我ながらちょっと変態的って思わなくもありません…) 余談ですが、北海道の炭鉱と言うと有名なのは「夕張」です。でも地図を見るとわかりますが、先ほどから出ている一帯の名前は、桂沢湖という湖を中心にすると「夕張」の反対側に位置していて、一つの山塊をいろいろなところから採掘していることが判明。・・・と、いうのを今回の事を地図を眺めているうちに知りました。 (宗谷を待つ代わりにもっと珍しいJR貨物のDF200がやってきた。見た目は結構スピード感がある) (知る人ぞ知る)妹背牛を通過して深川到着、近年周辺の景色に「ゆめぴりか(かも?)」の水田が目立つようになった。到着後、駅後方に分かれるように出ているのが、いつ廃線になるかわからないまさに「風前の灯」留萌線。留萌から南に海岸に沿って増毛(映画撮影のによく出てきました)までの路線が以前に廃線となりましたが、先だっての(2023年)3月いっぱいで留萌までが部分廃線となり、残りも2026年中には全線廃線とのこと、乗り放題チケットのありがたみが増々なくなります。スタート後、直線を快調に駆け抜け、川沿いに減速して長いトンネルを2つほど抜けると上川地方の中心地、旭川です。 いやー!しばらく来ていないとは言うものの、旭川駅のあまりの変わりようにびっくり!札幌駅と同じく高架駅!地上駅の時には富良野線ホームなんか、だだっ広いヤードの中に離れ小島のごとくあったのに…そんな面影はもうどこにもない! 周りの道路が整備され、綺麗なマンションとショッピングモールが出来始めており、駅の周りだけなら異空間!です。 ところでこの駅ですが、建て方が従来と違うらしく(天井を支える柱の構造?がなんとなく違うような…)、そのために駅表示板が他の駅と同じようには着かないらしい(と、近くの営業マンたちが話していた、ふーむ確かにそう言われるとそんな気もする。もし、行かれる方がありましたら見てみるとわかるかもしれません)乗務員が交代して2分停車後。出発、いよいよ稚内へ!です。 と、前半はここで終了です。続きは旭川出発から。

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石北本線 旭川から乗ってみた④

本来は引退前の183系「鉄仮面」に乗る予定にしていたのだが、調子にのって宗谷線に続きバスまで乗っていたらタイミングを誤り、「鉄仮面」は退役、気を取直しての道東訪問となりました。 ーで今回は、旭川から。道央最大の街で道北、道東への中継地であり、それなりに大きな駅です。南に行くと有名な美瑛があり、その先、富良野を経由して帯広方面へも行けます。その旭川駅、以前はよくある(地味な)二階建て建屋。地下だったか?小さなお店や食堂などがあり、その閉ざされた空間の中に小さな昭和が残っていました。通路を明るくそのまま(デザインを変えず)で綺麗(丁寧に補修)にしていけばそれはそれで味わい深いものになったろうに・・・と思わなくもありません。かつての建屋、待合室から改札越しにホームが2本(と記憶)合理化で撤去されたレール跡が残ったひろーいヤードの名残で、離れ小島の如く向こう側に富良野線のホームがありました。駅構内がそのままあった頃ー70年代には、稚内や北見、網走へ向かうのに、ここからの夜行列車を乗り換えたこともあって個人的に重宝した駅の一つでした。 改築前は道央最大の街ーとは違ったローカルさが点在していましたが、宗谷に乗った前回で触れたとおり、今では不要のヤード跡を取っ払い、更に高架となって使用するホームのみ、近代的な建物となって、駅の周りとともにコンパクトにリストラクチャリングされています。近辺だと吉塚駅みたいですが、賑わい自体は吉塚駅の圧勝。 改札を通って階段(エスカレータ)を上がり、中二階へ。ガラス越しに駅前からの街並みが見渡せる洒落た作りで小さくてもカフェの一つがあっても良さそうだが、博多駅のように「駅弁でも買ってから・・・」とーいうかコンビニもないほどシンプル。(まあ殺風景とも言いますが・・・)ホームに上がるエスカレータなども、まだ新しいこともあるが、「あのアカ抜けない雰囲気はどこに行った?」と戸惑ってしまうくらいの様変わりです。ホーム上もそばどころか売店もなくさっぱりしたもの。まあ屋根があるとはいえ、吹きっさらしのホームの上、真冬の時期にだれがそばを食べるんだ?一時間に何本の列車が出入りする?を見るに、立ち食いそばやの必要性は見つかりません。隣のショッピングモールで、十分すぎる時間が過ごせそうですが、もし作るならバスターミナルも駅の中に入れて、レトロな造りのモールを復活させて対抗してみては?と思わなくもないところです。。 旭山動物園行きのバスが入って来たところを見計らってホームに上がると、キハ40がもう入線していました。 腰を下ろして10分くらいで出発した。10人程度が乗り込んだディーゼルカー、左側の街並みが遠くまで見えて規模の大きさがうかがえます。新旭川駅辺りから地上に降り始め、宗谷線と別れて南永山、東旭川と停車。ここで上り特急オホーツクと離合。次の桜丘まで来るとめっきり家々が少なくなってきた。 出発後、直線が続き、周りの「らしき」風景に短い間隔のジョイント音が軽やかに響き、徐々に減速して当麻に到着。 遠くに低い山々を見ながら、少し上りとなったか、エンジン音が重くなってきた。 小高い丘のような山々が寄ってきて愛別に到着。 出発してから大きめの鉄橋手前で汽笛がなり、石狩川を渡って蛇行(惰性)運転となり、中愛別に到着しましたが、周りには何も無い。次、安足間!駅・・・なんて読むんだ?あんたろま、えー!読めないや。 沿線で「ネタらしき」ものはないか?と眺めつつ1時間ちょっとで上川に到着し、次の列車を待つことになる。 大抵は(観光)バスで行く所の層雲峡、その入口というべき駅なのでバスの発着があり、駅員さんも在中、清掃も行き届いていた。 特急も止まりますが、普通列車が2本だったか3本だったか・・・上川地方の東端、ここから先は行く手をさえぎるように大雪山系の山々立ちはだかり、生活圏が違うためか遠軽、北見方面にはほとんど列車がありません。 少ない・・・ その数少ないディーゼルカーがやってきた、乗り継ぐ列車は3両編成。定員からだと3両は要らないはずだが、冬季の勾配区間をシングルエンジンのキハ40系ではちょっと不安なんだろう、と推察しながら乗り込み、上り特急と入れ違いで上川駅を出発した。まもなくエンジン音が重くなり、スタート時と速度もあまり変わらず、併走する国道の走る車が、時折かわして行く。右手に高速道路が見えてきたが、たしかここらに天幕っていう駅があったはず・・・左右をきょろきょろするがよく分からない、どうも無くなっているみたいだ。液体クラッチが何度か切り替わり、キツイ勾配を川に沿って山あいを上っていく。蛇行(惰性)運転になり、「やっと」という感じで中越駅に停車した。この先にも上越駅があるのだが、いずれも信号所扱いでもう駅ではない。過疎化の進行か、駅としての存在感も薄れ合理化されてしまったようだが、まあ・・・とにかく周りには何も無い。ここに住むとなるとーどうする?CDを飽きるまでほど堪能できそうだし、毎晩音楽を聴いてみるか?それともボトルシップ製作か・・・?(除雪と薪割りになるかも)・・・地道な趣味を持って篭れば一冬を越せそうだ。 後で知った事だが、上川出発して次の駅白滝まで路線上では約50kmの間駅が無いことになっているのには、びっくり!こんなになっているとは全く知らなかった。 さて中越出発後は国道とも離れ、山あいの谷間を縫い、更に急勾配が続き、エンジン音も更に重くなり、走っても追いつけそうなくらいの速度に落ちてきた。国道や高速道路がくっついたり離れたり・・・狭まっていく山あいに原生林の風景はかわらない。エンジンのうなり音も重く、あえぐように防雪トンネルの入ったところで上越に停車した。出発後、すぐにトンネルに入ったが、上越駅が峠の頂上だったみたいで、一転蛇行運転となり、さっきまでの喘ぎが嘘のように軽やかにかけ下っていく。奥白滝信号所を通過、右手だった国道が今度は左側に。 ちっちゃな集落見えてきた上白滝のはずだが、加速して通過、次の白滝停車し、数人の乗客が降りて一人っきりとなる。緩い下り坂が続いているのか快調に走って行く。下白滝に停車すると久々に上り列車と離合した。峠を越える数少ない列車の一つ、旭川行きの特別快速だ。 出発後も変わらず、低い山々に挟まれて今度は湧別川と併走。丸瀬布に停車、駅舎の反対側に木材の積み出すヤードがあって木材が山積みになっていた記憶がよみがえってきた、何十年も前の話です、もちろんいまは跡形もありませんが・・・。出発後、直線が続いたかと思うと川にそうように右に左にソーイング。これまたちっちゃな瀬戸瀬に停車すると次はスイッチバックの駅、遠軽です。

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石北本線 遠軽から乗ってみた④

上川を出てから次の大きな街と言うとここ遠軽ですーと、いっても町ですが・・・。(前半でもスイッチバックと書いた)遠軽駅は、そのまま真っ直ぐ進むと湧別から海沿いを北上、紋別経由で名寄へ向かう旧名寄線や旧渚滑線へ始発駅として、また先ほどの湧別からオホーツク海沿岸を南に向かい、サロマ湖沿いに常呂を経由して網走に向かう旧湧網線が走っていて、町の規模より鉄道拠点としての規模(重要度)が大きかった町です。旭川や北見方面からは特急や急行列車が早朝から深夜に到着、乗務員も交代、また貨物列車もそれぞれへ方向転換するため機関車の付け替えの業務、客貨の中規模ヤードや大型の扇型車庫を備えた機関区があり、何かとせわしなく活気の感じられる駅でした。すっかり変わってしまいましたが、今もその名残であるターンテーブルが駅舎の向こう側に「夢の跡」として残っています。 (早朝や夜の)暗い時間帯によく利用していたため、はっきりと覚えていませんが、駅が少しだけ高い位置にあり、町が見渡せるようになっていて、今では石垣になっている駅正面が当時はたしか階段になっていたはず・・・。札幌からの夜行急行をここで降り、旧名寄線の始発(早朝の4時頃)に乗り換えたり、先ほどの駅前の階段を降りて右手にすぐ入ったところに銭湯があり、お湯に浸かってから札幌行夜行列車に乗ったなあ・・・っていう何かと思い出深い駅です。駅舎自体は小さくて、ちょっと前まで建物の端にうどん店がありましたが、今はやっていません。上屋だけが残り、音威子府の蕎麦屋さんと同じです。 車かバイクを運転し(網走から北に行き、遠軽の東側にある)湧別、紋別、浜頓別方面に宗谷岬を経て稚内までいくと200か300kmだったか?・・・あり、オホーツク沿岸のドライブが心行くまで味わえます、まあ運転するのが苦痛にならない人向きですが・・・。今なら自動運転の車があったりして、それなりに「くつろげる」かもしれませんが、沢山の休憩と大自然と食事、時間の消費を思いっきり、優先するほうがより楽しむことができます。 【ちょっとだけ違う気がする】 さあ、途中下車から再び乗り込んだディーゼルカーさっきと同じです。到着とは反対方向に右手に来たレールを見ながら出発、家々が密集!という事も無く、町というくらいなので5分も走ると家も途切れがち•••、畑が目立ち始めたところで安国です。 安国はかつて木材貨物の扱いがあり、両側ホームでしたが、いつからか島式に。シンプルで小さなホーム、メルヘンチックな生野を過ぎ、ゆるい勾配が生田原にかけて続きます。 生田原は常紋峠を越えるための東の入口、国鉄時代にはここから貨物列車に補機が付いていたため、駅舎反対側のホーム向こうに三線程度の空き地があり、そこが待機設備の名残、すでに40年程度が経過していて、自然と化し当然の如く面影は全くありません。 生田原駅出発直後からエンジン音が重く、速度も上がりません。左右に小さくカーブしながら液体クラッチもロウのまま、ゆっくりと上って行きます。原生林が両側からどん、でもどん近づいてきて、もうそろそろか?と思うのですが、なかなか汽笛が鳴りません。ますます速度が落ちてきて、昔もこんなに遅かったかなあ?まさか止まるんじゃないか?と思うようなスピードになったところで汽笛が鳴り、「こんなに(距離が)あったかなあ?」と思いつつ有名な曰く付きのトンネルに進入。 少しスピードが戻ってトンネルを出たところに防雪トンネルが見え、右前と左後に退避線跡が残り、その信号機のバッテンが痛々しく見えたところが常紋信号所跡。廃止前も信号所でしたが、以前は臨時乗降場としても使われていたところです。今風でいうところの「撮り鉄」に興じた頃にはここで降りたり乗ったりした事がよくありました。ホームが無いので手すりを持って乗り込む感じです。 信号所跡からは下り坂ですが、大雪峠とは違い、短い直線に左へ、右へのカーブの連続、下っているからと言ってスピードが上がることはありません。生田原側とは違い、どちらか片側が開けていて、左右に見える小高い丘からの上り列車を撮る、有名なフォトエリアでした。進入信号の黄色が見えて減速し、金華信号所に停車です。 常紋峠の東側の入口が生田原ですが、西側はこの金華か次の留辺蘂。ジオラマを作って遊ぶ楽しさいうとどっちも捨て難いのですが、特急や急行が停車し待避線など、駅と町の規模では留辺蘂です。ですが、急勾配のはじまりで、乗務員詰所があり、アッシュピットや給水設備、補助機関車用待機線に峠越え待ちに9600型が煙をくゆらせていた思い出から、存在感があったところからこっち押しです。冬の常紋越えの写真を撮りに雪の中、フォトポイントにラッセルしながら向かう折にお世話になったのが、この駅だったので余計に思い入れが深い!っていうのもあります。信号所で残っているけど、駅含めて残念だなぁ・・・と感傷に浸りました。 冬場の話ですが、今のようにヒートテックやダウンジャケットの言葉さえ無い頃で、大きいジャンパーの下にはセーターと下着をダブルで、ズボンの下にジャージを履いて更に雨合羽の下側を使って準備する。長靴にスキー用靴下、毛糸の手袋のいでたちは、思い出しても笑いを通り越し、もう罰ゲームの域かも。「シマムラ」や「ユニクロ」が無い時代です、格好なんて言ってると凍死しかねない、それでも寒さを凌げている訳ではなく、それしかないのを若さでクリアしていたっていうところでした。 まあイメージ的には唐津線の多久と厳木の間がこんな感じです、でも気候と距離的規模は全然違いますが・・・。 特急と交換後、景色の変わった直線を軽快に走っていく。昔のかおりがかろうじて残る留辺蘂でまたも上り普通列車交換となり、お客さんの乗り降りが終わると同じように出発した。 留辺蘂を出るとビート畑の中を北見に向かって快調飛ばしていく。相の内、東相の内、西北見と停車し、その先のトンネルで地下に潜って出て来たところで北見に到着。長時間停車なので、外に出てみた。当時、お土産を買ったデパートが賑わいを失いながらもまだ存在し、ホットする、地下も通路をふくめ昔のまま。北見はハッカが有名らしくハッカ〇〇を買おうとしたら、そこのおじさんに「今はハッカなんか作ってないよ」と知らなくていい現実知りガッカリ•••したのを思い出しました。 秋になるとたまねぎの香り満載の風が吹く(と言われていましたが)北見を出て高架道が柏陽の先まで続く。柏陽は近くに創立から100年近くの由緒ある高校があります。いとし野の駅では列車がホームに停車しているにもかかわらず、暗黙了解か運転手さんも全員が乗り込むのを待って出発、ダッシュして乗り込む生徒なんていません。 端野に到着して周りを見渡して はて、こんなだったかな?って と考えてしまった。 出発後に大きくカーブし道路と離れてくると少し思い出しました。大昔のことの上、周りが綺麗になっているために全く理解出来ていなかったのと緋牛内と勘違いしていたためです。見通しの良いカーブをいくつか過ぎて今度はほんとに緋牛内。 駅の前後は開けていて天候に恵まれるなら便利な近くで、様になる「絵」が撮れていた。もう少し根性出すならトンネル先の美幌から来る上りを吹雪まじりで撮るとカッコいい「絵」になります。とは言うものの、吹雪の中なんて今ではとても考えられません。うぉーさむい!! ーで、美幌。日本てんさいとうの工場がすぐそばにあり、シンボルみたいですぐに思い出しました。木材の積み出しもあり、広めヤード、旧相生線があったので三線のホームもある、冬場の夜行急行「大雪」が入線し、客車の合間に蒸気暖房の湯気が映えるホームの夜景が、一段といい雰囲気だったんだよなぁ・・・。 美幌を出てすこしのところに短めで絵になる鉄橋ある。それを正面から見れる家があり、当時そこの家人にお願いして写真を撮らせてもらえないか?と頼みにいったところ、すでに他の人がお願いしたらしく、「勘弁してほしい」とやんわり断られました。やっぱりあつかましいお願いだったなあ、と思うのと同じことを考える人がいるものだ、とちょっと驚いたことも思いだしました。にしめまんべつ、見渡すとー何も無い。千と千尋の神隠しを地で行くところだ。ここからだと歩いてもそれほど遠くないところに女満別空港がある。先から線路そばの林を伐採しているので林の厚みが減り木々の間から畑と家が見える。原野の中を突っ走っている訳じゃないのを今頃になって知った。めまんべつからは網走湖が見えて、国道沿いを軽やかに走りまもなく終着駅に到着だ。 特急だと半分以下の時間で付きますが、それでも中身は充実していたのでそれなりに満足・・・って話をしたら「単に時間を浪費しただけですよね?」って言われちゃいました。

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大変なシーズンでしたが、地元は今年もセールが盛り上がる。

毎年この時期になるとやってくるMさん、今年はいろんなことがありましたが、ぼくのリクエストに答えてくれて懲りずに来てくれました。 前にも書きましたが、彼は熱烈なカープファン、早速だが今年の展望をきいてみた。 どう、今年は?と日本シリーズの話を振ると彼は軽快に解説をしてくれた。 「今年は4勝1敗かな?プラスマイナスで1敗、ホークスの勝ちです、はじめは2敗するかも・・・と思っていましたが、もししても1敗ですね」-へえー確信してるねー 「1戦目の菅野で負けちゃいましたからねえ・・・あとは多分明日投げるサンチェスが頼り、でもこのままズルズルのような気がするんだなあ」ーそりゃまた、どうして?ー 「打てないんですよ・・・元々坂本、丸、岡本(中軸)がシーズン中3割弱、シリーズで突然化けるなんてありえません。本来は、代打要員の亀井や中島がスターティングっていうのも気にいらない」ーなんで?ー 「巨人の事は詳しくありませんが、先程の中軸3人をシーズン中の数字で見ると5戦目までやってHR一つ、1試合あたりでヒット一本程度でしょ。2戦やってその平均に行ってない、もし打てるなら和田が投げる時でしょう、他にもベテラン2人も旬は過ぎています。それだと内川は4番ですよ。あと「勝つ」なら打撃戦にならない事が前提ですね」ーんじゃ、福岡で終わりってこと?ー 「大半の予想は、ホークスが2、3敗するみたいに出てますが、4タテって思っている人が多いんじゃないですか、言わないだけだと思いますけどねえ」ー隠れトランプかね?ー 「まあ、そうです。残りで柳田とデスパイネのバックスクリーンへのHR、周東の本塁クロスプレイかなあ、あと4タテでなければ千賀が投げて二桁奪三振完封」ー甲斐キャノンは?ホークスファンだと「熱男!」個人的には中村だなー 「もう優勝したみたいですね、中村ですか?シブいですねえ、彼って勝負分けますもんねー。甲斐キャノンかあ、カープコテンパンだったもんなあ〜、でも残念ですが、巨人戦では見れません、走れないし、走らない」 と言って帰宅されました、 がキンロー感謝の日のことで、後日改めて電話してみたら ー予想通りだったねー 「あんまり嬉しくないなあ、選手だけでなく戦術もよくわからんかったし」 ー全く勝てんやろうか?ー 「例年とは違いますが、投げる方でいうとあまり変わらないかな?って思っています。でも打つ方が比較にならないですね」 ーそんなに違うかね?ー 「周東でしょ、栗原は予想外でしたが、中村、グラシアル、柳田のクリーンナップ、あの松田が8番、上林、今宮はいないし、内川なんてどーしてんですか?シリーズ男ですよ、それもこのシリーズ前に退団、もうおかしくないですか?」 ーそうだね、カープの時とおんなじやねー 「柳田なんて見ました?4戦目の第1打席。内角のフォークですよ、狙って打てます?おかしいでしょ・・・」と話が止まらない、「2年前のカープ戦でもそうですが、彼は絶対打つんですよ、それもHR、これは決定的な差だと思っています、打率だけではありません」 ーそんなにすごい?ー 「片膝ついて打てます?」 ーそうだね、ありえない。その差かな?ー 「もう一つ、見えないところですが、監督の戦略が(4タテなので)出来過ぎなほど、予定通りです」 ーというと、どんなところが?ー 「例えば4戦目、先発和田ですが、完投はありません。したがって継投、5回までで3点なら彼はOK(勝ちに行く)です。でも球が高いため2回で代えました、このために第2先発を(そうなってもよいように)用意、5回までならいつでも投げられるように(松本=彼は知らないそうです)準備させておいたからだろうと思われます。それ以後、各回毎に(勝ちパターンだから、カヤマ、高橋、岩嵜)投手を決めていて、モイネロ、森の勝ちパターンを組み立てています。逆転されても平気ですね、6戦目は千賀、そこまでなら勝てます、5戦で決めるつもりだったんだろうと思いますが」 ー巨人の方は?ー 「よくわかりません、あれだけ打てないとですね・・・でも投手起用では小さくとも?はありました。でも結果3戦目を除けば、5点が分かれ目、ホークスの防御率からすると厳しいところですが、不可能でもありませんから、やっぱり打線ですね」 ーそう、やっぱり厳しいかー というわけですが、もし勝てるとしたら?って聞いたら、後日連絡が来た、 やりたくはありませんがーと前置きして「 今回の流れでジャイアンツが優勝するとすれば、1戦目の先発は戸郷です」 ーへ!菅野は?ー 「2戦目です、その代わりその2戦目は絶対勝つ事が条件です。3戦目が今村。和田が投げた4戦目でサンチェス。問題は5戦目(はあ〜コマが足らないと、ため息つきながら)畠・・ないなあ、メルセデス、6戦目にもう一回戸郷、最終戦で菅野。戸郷は1勝1敗、菅野は2勝、サンチェスかメルセデスで1勝って計算です」ーそれでいけるの?ー 「中継ぎで田口、大竹、ビエイラ、抑えはデルロサでフル回転、取られても1点までで、やっぱり綱渡り。でもこれを軸に可能性はあります。あと打線、クリーンナップを除くと「よく優勝したな」って思うくらい名前と顔が一致しませんね、中島や亀井出さなかったら草野球になりかねません」 ー結局?ー 「初めから最高性能を発揮しないと勝てませんね、でも安定して成績を残している若手がいません。つまり、コマが無いんですよ、だから計算出来ない」 ーふえ・・・来年もよろしくね- 「ドームでのカープとのオープン戦でも」 と、今年も楽しく話されました。 ほんとは一ヶ月前にアップの予定でしたが・・・・

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5月2日 こんなの考えました②

毎日欠かさない、あの話題ですが、今朝も子供たちのストレスがちょっとした話題になっていた。大濠公園は天神みたいだし、公園に行けば、居づらい雰囲気があるようなことが新聞に載っていた。ちょっと辛い話、そこでー 1、福岡市の動物園と植物園を開園する。少なくとも小学生低学年とその前までの年代の遊ぶ場所はできる。 2、公園とは違い、柵で囲まれているため人数をコントロールでき、過密になる危険性も近接も少ない。 3、午前と午後に分けるれば、3時間程度の滞在時間で(1グループあたりに半径2メートルとして敷地面積から割り出せば数字が出るはず)ある程度のグループを吸収できるはず。 4、昼くらいに駐車場あたりで市内でテイクアウトをやっているお店のお弁当販売と場内整理に若干名のアルバイト人員の募集をする。 二週間でも相当効果はある、と思うのですが、どうでしょう? その考えでいくとー 香椎花園もいけそうだ。でも一番安全で間違いないのは、やっぱり学校かあ・・・

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車に乗らない人が増えているとは聞きます・・・が。

天神からだと行く時のを含めて歩く事が多いのだが、時折乗る事がある。店に戻るのに乗る事にしたのだが、「お!」と思うところがあって、途中の信号待ちの間に前方の席に移動。 途中からちょっと楽しくなり、もう少し乗っていこ、と「けご町」で降りず、しばらく堪能した。 ---と西鉄バスの運転手さんのことを書こうかと思っていたところ、またまた遭遇する事になった。博多駅に行く快速、しばらくすると「お!」久しぶりだ。もちろん同じ人ではないが、またまた楽しくなる。なかなか遭遇することがないので、もう少し乗っておきたいところだが、終点の博多駅でちょっと残念、「運転手さん、上手だね」っていうと顔の前で手を横に振る、でもニコニコ笑って楽しそうでした。

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Music Messe in Frankfurt 2018

ミュージックメッセ 2018 単なる航空券の都合と安いホテルを探していたら、間際になってやっぱり今年も前日入りとなりました。 例年同様、メッセは水曜日から始まり土曜日まで開催、時間も10時スタート、18時エンドのスケジュールで、場所も同じところ。前回もそうでしたが、会場の範囲は8~11番ホールはドイツ鉄道Sバーン「メッセ駅」の西側。東側のメッセタワーの方は「プロライト」といって新たなイベントが行われているようですが、(うわさによると)従来のメッセとは全く別ものらしく、入った事はありません。 駅から西側に向かい、通路右手が8番ホール、反時計周りに9、10、11番となり、それらが囲む中広場に屋内仕立てのイベントスペースとなってやっぱり同じ。このままだと、前回同様会場の説明をして終わりになりますから、今回はいくつかピックアップしてリポートしてみましょう。   ヤマハのコーナー、アコースティック、デジタルに限らず置けるものは全部おいてみた!という勢いで、デモンストレーション用ステージも三つ、各展示コーナー(ドラムやギター、特にデジタルピアノ)でのヤマハ担当者におけるプレゼンテーションが注目度も高く、次々と機能が飛び出しチラ見にも立ち止まって見入ってしまいます。中でもドライブシュミレーター(レーシングゲームですが…)がアトラクション的にも素晴らしく、見ているだけでも夢中になってしまうほど。(おまり公にはなっていませんが、こういったところからの現在実験段階である自動車の自動運転技術が相当進んだところにあるらしいそうです)映像、音響、体感等、傍らでいるとやってみたくなるような完成度の高さです。 今年はMOTO GPのレーシングバイクはいませんでしたが、テナーサックスの特注品が管楽器コーナーの片隅にさりげなく展示。 ギターとドラムの殿堂―(ドラム)セットだけでもライド、ハイハット、バス、タム、…などこんな調子なので全部と言うとどれだけのブースがあるのか想像がつかない。あちらこちらのコーナー毎に試奏コーナー、ところどころではゲスト招いてのセッションが行われ、白熱すればやっぱり人々を集める。   前回もあった黒い箱、「ドラムキャンプ」、と言う名の十畳程度の屋内スタジオ(防音室)。主にドラムのデモ演奏をするらしいのだが、今回はこれが増殖し、いろんな形でデモンストーレーション。『これが「見ようによっては…」面白い…』と前回は書いて終わったのだが、今回は無謀にも見学―してみた。結論からいうと「それ自体」は自分にとっては「次は無いな」ということです。まあ普通じゃない!耳は遠くなる年齢だが、それにしても尋常じゃあない、野外コンサートの巨大ウーファの目の前で聞いてるのと同じで、慣れるにも限度がある、「魔がさす」のを待つ方がよさそうで、外国人の興奮?とは全く違った、解放時の静寂感は今までに味わった事のない爽快感だった。さきほど「それ自体」と言ったが、それ以外の部分というのがおもしろい。管楽器専門店だからドラムに詳しいわけではないが、リズム楽器というだけでなく、セットをバンドとして考えている点だ。従来ならハイハットがあるところにパソコンを置き、音楽を流す、スティックでセットのあちこちに付いたをセンサーを触るといろんな形で変えることができるというものだ。 コンピュータで音楽を作るのは最近の主流なので、それ自体は珍しい事ではない。鍵盤楽器などその代表的なもので、シンセサイザーのイメージがあるのはそのためです。しかしその変わり方のスピードと方向性がハードで、先ほどのドラムなど本来はソロで演奏を考えた事もないのだが、その根本を覆すようになっているのが最近の音楽作り(演奏)かもしれません。 そのホールを出たところにオープンカフェやレストランが店開き、その中庭を横切った向かい側が9号ホール、専門外ですがここからが相当面白い。一階がアナログ、エレクトリックを問わずピアノ等の鍵盤楽器、本来なら「癒し」のコーナーと言いたいところ…、あっちこっちでヘッドホン、サイレントピアノのオンパレードで時代の流れとは言え、傍から見るとパタパタと乾いた音がしてやっぱり変な感じ。でも同じく音を出さない(弾いてない)のなら、この楽器の存在感はものすごい”Steinway”!(だからと言って語るほどスタインウェイのことなど知らないのだが…)小さなブースが並ぶ アコーディオンだって負けちゃいない。昔ながらの伝統製法と芸術的細工も目を引きますが、RHで旋律、LHでオケの部分を演奏していたチャイコのバイオリンコンチェルトなんぞは、マシン(エレクトリックアコーディオン)もさることながら、打ち込みかと思わせるほど演奏者が芸術的!   その二階はエフェクター、ミキサー、コンピューティングミュージックプロダクターなどの展示ブースがありますが、見るだけではさっぱり解らない。ならばと「パワーポイント」で説明をしている一角に足を止めて聞き入りますが、今度は言葉がわからない。(なんじゃらほい!)そんな熱い会場を抜けると一番はじめに出てきた通路(8号ホール横)となり一周です。 これを2日程度の日程で回りましたが、管楽器以外のところで遊んでいると、使い慣れていないのでなんだかんだと時間が経過し、そんなふうにメッセ全体を過ごすなら適度な開催期間かなって思ってもみます。(もちろん専門の管楽器だけで言うと全く物足りませんが…) 今回はちょっと淡泊ですが、ここまでです。この後知人に会うべく北の方にに移動しました。ではまた来年(行ければですが…

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地元は優勝セール中

毎年この時期になるとやってくるMさん、今年はちょっと早いのですが、また来てくれました。 彼は熱烈なカープファン、2年前にはCSに敗れて怒り狂っていた彼である。「今年は残念だったねえ・・・」と話をふって着火してしてみたが、意外にもさっぱりした答えが返ってきてこっちの方が予想外、まあ拍子抜けしてしまった。 話が日本シリーズに移ると、いつものように元気なり、解説がはじまりちょっと安心した。 「(ホークスの)4連勝で制覇、とは言いませんが、負けても2敗、勝負は見えていました」ーほう、それは? 「1戦目ホークス先発は千賀、エースです。一方ジャイアンツは山口、今年は15勝して防御率も悪くありませんが、まだエースではありません、エースはなんと言っても菅野。その菅野が4戦目というのは(故障とはいえ)ローテを考えるまでもなく短期では考えられません。その上先発要員も安定性がなく駒が足らない、ホークスも先発の東浜を筆頭に武田、中田がいない(活躍していない)のは痛い所ですが、ジャイアンツはそれ以上です。おまけにサファテの穴を森が埋めて、比較的安定したリリーフ陣に比べ、先発が転ぶと打撃戦に持ち込まないと引っ張れないリリーフ陣では原監督も頭が痛い、せめて田口が・・・」ーへえー投げる方はダメ?・・・ 「まあ、投げ合えば、昨年くらい投げて菅野と今年何とかがんばった山口で2勝、7戦まで持ち堪えてギリギリ4勝ですからピッチャーだけに頼るのはとてもできません」-ならば、打つ方か? 「あーまだこっちの方が期待できますーできました(過去形だ)。(本塁打を)40本打った坂本、岡本も丸も30本くらい打って公式戦では数字を残しています。なのに残念ながらこのシリーズでは全くダメで、しかも勢いのつく勝ち越しや突き放しの場面では全く打っていません。主軸を担う連中ですから、そこでは少しくらい打たないと・・・(5番以降が期待できないのと)チームの士気があがりません。デスパイネ、松田、柳田もそんなに打っていませんが、そういうところでは必ず(一度は)打っています。特に柳田は存在が大きく(特に打撃戦になると)結果に大きく影響します。亀井が打ちましたが、それだけでは・・・ねえ」ーそうなのか・・・ 「後半になって調子のあがった千賀や高橋を攻略するのは、無理かなって思っていました。」ー圧勝って感じなの? 「いや、結果的にはそうなっていますが、乱打戦になった試合がないので、満遍なく点を取ったホークスが勝った感じです。あと工藤監督の戦略がよくできていたような気がします。原さんもリリーフなんか考えていますが、工藤さんの方が誤差が小さい・・・なかったんじゃあないんですかねえ」ーCSからの連勝で? 「連勝で来ると普通、勢いって思いますけど、試合運びー選手起用はノリだけでは上手くいきませんから。負けなかったのはおまけです」-へーそうなんだ。やっぱ、詳しいね!(ざっくりでこうです) 「でも、今月はやっぱりラグビーかなあ?」-うーん。多分。 「セールしてるんですよね?行ってこようかな?」-何か。買うものあるの? 「いやー雰囲気を味わいに」あ、そう。じゃあ楽しんでおいで、また来年。

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ため息が・・・漏れたが、鼻息も荒い!

なんのことはない、ホークスのことである。 たまに来られるNさんはすこし(?)だけと言いつつ熱烈なファンである。 -今年も残念でしたね?「デスパイネや松田がよくやっていますが・・・あと内川もです」-でも打率も欲しくないですか?「そこを求めるとチームと個人的な面白味に欠けます、まあいいとこで打ってはいるのでOKです。内川はそろそろ若手がねえ、長くやってもらいたいのはやまやまですが・・・」-ほうほう、ところでやっぱり柳田は大きいですか?「大きい!なんてもんじゃない、それが一番痛い!上林や今宮も、もちょっと何とかいければ・・・」-個人的には中村が痛いと思っていますが。「それもいい役目ですが、4番が抜けるのはやっぱり痛い!・・・でも、シブいところ突きますね」-はあ、大隣が好きだったんで。 「へえーそうなんですね。その投げる方はもっと痛い、なんてもんじゃない、激痛ですね、複雑骨折です。東浜、バンデンハークをはじめ中田、武田に和田でどれも・・・」とますます静かにヒートアップ 「ただですね、どこの球団もピッチャーに関しては四苦八苦しています。打ちまくった西武が優勝っていうのもうれしかありませんが、仕方のないところかと・・・」と普段はまったくそんなそぶりをまったく見せないのに細かで熱ーい分析を展開、「そんな中、今年も良くやったなあと思っています」とCSも終わっていないのに納得のご様子です。 でCSは?と尋ねると「そうなんですよ、それを考えていてですね、千賀と高橋だが・・・。だれを先発でいくか?向こうは則本かあ?どうする?高橋は西武戦で(も)使いたいし・・・バンデンハークは・・・」-と真剣に悩んでいるよう。ところで千賀の楽天戦ってどうなんですか?「そーなんですよねえ、楽天戦がちょっと・・・でも負けたら次は無いのでエースが投げんなんかありえん!」と最後は分析どころではありません。-ところでリードかなんか買っていきませんか?「それそれ!そのために来たのに忘れるとこでした。これだからいかん!なかなか上手くなりませんね」 でも、「ワールドカップ」という大イベントがあるのにこっちは相当影がうすい・・・。 ーが、ちょっと・・・というか相当興奮した!なにげなく見ていた、対スコットランド戦のことだ。日曜日の夜、見ていて「なんだ、結構やるじゃないか、これなら勝ちそうだ」と3トライ目のところでチャンネルを変えてしまった。 ところが、再び変えて後半戦、「ヒヤー危ない!あとワントライで同点やんか!」とテレビに釘付けです。最後の15分間はテーブルを抱え込んで大声援!見た人はお分かりと思いますが、あのディフェンスには大興奮でした。 翌日は地域柄CS突破のホークスですが、すいません譲りましょう!今回はラグビーです!

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