特急「宗谷」に乗って、今度はバスにも乗ってみた④

前回は稚内到着から折り返しで特急サロベツに乗車、滞在約20分という、無謀な企画の批判を受け(だれが一体批判するんだって?)て、ならばと今回は、音威子府ソバの真相を探るべく(という理由をでっちあげ)再度の訪問となった。(現在、この時間の音威子府行きバスは、走っていません、午前中の便のみとなっています

稚内の到着後、そばにある稚内バスターミナルを15人程度の乗客を乗せ予定時間に出発。途中から地元の人を乗せて市内を南下、街並みを抜けた辺りからルートが東向きに変わる。20分もすると声問沖の静かな海が見えてきた。ここからから南(山手の方)に旧天北線が分かれていたのだが、線路跡はおろか駅跡さえ(記憶が)ない。市内のはずれから背後に見えていた利尻島が、宗谷湾の端、富磯まで来ると見えなくなった、天候に恵まれれば、意外にいろんなところから見られるものだ、と関心する。

出発して40分後、B.S宗谷に停車、ここまでで買い物とか病院などへとおぼしき地元の人たちは下車。「宗谷岬に行かれる方は(B.S)宗谷岬で…」と車内アナウンスがあり、まもなく「最北端の地、宗谷岬」に到着するらしい。

車内放送から10分程度で宗谷岬に到着。写真でよく目にする三角形の碑がすぐそこに見え、バイカーもいて辺りは混雑ではないくらいの賑わいである。駐車場があるし、時間の使い方からいうとやっぱり車の方が便利そうだ。自分を除き、みんな下車したので、一番前の席に移動する。「お客さんは行かないの?」の運転手さんの問い掛けに「音威子府まで行くんで」と言うと「ああ、そうかい」-変わり者と思われたかも?「一年に何人かはいるね、そういう人。バス乗るのが好きだとか、景色が良いところだとか・・・」-やっぱりいるんだ!よかった変わり者じゃなくて(絶対数は少ないんだからやっぱり変わり者に変わりないが)

海沿いを近づいたり離れたりしながら走り、いつの間にか南向きになった。ここらだともうオホーツク海かも知れない。たまにゆるいカーブを通過するが、先頭に座っていると弓矢の的に向かうがごとく直線が続く。
「そこの左後ろ、島影見えるかい?それ樺太だから(薄く海上に線のように見える。そう言えば特急の中から礼文島と利尻島も見えました)
そうそう、そっちの方もそうだけど、天気が良けりゃいいってもんじゃないし、悪いともっとだめだし…両方見えて良い日来たねえ」-ははは、ありがとうございます。
貸切状態でガイドさん付きのバスツアーとなったが、とある郵便局の前で久々停車、お客さんが2人乗車する。その先の信号を右折して、10分ほどで旧天北線の鬼志別駅跡の鬼志別のバスターミナルに到着、一回目の休憩だ「お客さん、3時5分出発ね、後ろ開けとくんで、それまで戻って来てね」と詰所に行ってしまった。

猿払村役場のある地区で何もないわけではないが、かといってフードコートやスーパーがある(見受ける)わけでもない。福岡近郊だと真夜中だってここまで車の通りがないことはないが、それにしてもかなりの静かさだ。広さではトップから何番目の面積ながら、人口密度だと下位から数えた方が断然早い(失礼ながら)辺境といってもよいくらいの場所か・・・、観光地でもない所の平日昼間はこんなものかも。(ーと、思い込んでいたらありました!パン屋さんが。ここのパンが普通に美味しい。多分「コルネ」がおススメ品だろう、個人的だとマメとあんパンが好みだった)
いくつか写真を撮りに散歩、乗車、音威子府の情報を検索してみた。運転手さんが戻って来たところで「すいません、昔(音威子府)駅で売ってたソバですが、あのお店は今どうなったんですか?」と聞いてみた。すると「ホームのそば屋かい?あそこは、いま駅(待合室)の中でやってるけどね。お客さんそこ行くの?でも着いた時間にはやってないんでないの?けっこう早く閉まるから」えー!じゃあ他の〇〇さんとか店ぐらいですか?「そうだねえ……でも行くんなら電話しておいた方がいいよ、お客さんいないと早く閉めるときがあるから」そりゃー困る、ちょっと電話しとこう。と電話が終わるのを待ってからエンジンがかかった。

出発すると、先程の交差点まで戻り、1人が乗車、国道を南下する。左にオホーツク海、右手には牧草地らしき草原を見ながら、しばし走ったところで道の駅が見えて来た。この辺り一帯が猿払村営牧場で広さは見えるところまで(!)らしいが、建物がないので大きさのイメージが湧かない。左手にロシア船遭難の碑が見えた。

そこを過ぎた辺りから景色に飽きたか?ちょっと寄り道をー(んな訳はない)芦野という小さな集落が内陸寄りにあるのでそこを経由。「10軒程度…周り含めるともう少しあったかな?」と説明してもらったが、見える所だけだともっと少ない。「道道めぐり」をしながら再び国道に戻って来た。

曲がったか曲がってないかわからないようなカーブと長ーい直線が交互に続き、時折後続車が追い抜いて行くが、一定のスピードを保ったアクセルの扱いが独特だ。すこし内陸寄りに走っているのか○○牧場の看板とともに牧舎が忘れない程度に出てくる、たまに「飛行場前」なんてバス停もあったりして、「どこにそんなものが?」と思うが、景色だけながめると(BSの)名前を付けるのもそれはそれで大変そうだ。ボヤーっとする時間も増えたので浜頓別ってこんなに遠かったかな?と話しかけると、「ああ、鬼志別から60キロくらいあるもんね」そう言われるとそりゃーぼおーっとする時間も増えてくる。天北線があった頃は、ジョイント音に「らしい」風景を満喫したものだが、ここまで来なくてもすでに満腹状態——、できる事なら途中下車してホタテか何かでホントに満腹になりたいものだ。
北海道では有名な四ツ葉牛乳の工場を過ぎて少しすると街並みが見えてきた、浜頓別だ。街並みが見えて間もなく一人だったお客さんが下車。その先のT字路を右折(275号線)し、少し走った所で浜頓別バスセンターに到着し、ここで10分間の停車となる。スタートの稚内駅から90㎞、内陸(終点)の音威子府から80キロ程度の中間にあるのが浜頓別で、ここは旧天北線の要衝だった。先ほどのT字路を左に曲がると海沿い(オホーツク海)に南進する旧興浜北線が枝幸まで続く。10キロちょっと行った所に神威岬(斜内ー目梨泊の間にある)があって、ここから景色は、宗谷線から望む利尻島と並ぶ、道北きっての(鉄道)絶景!灯台あたりの撮影ポイントに腰を下ろして1列車のために待った当時を思い出した。さらに南に進む238号線は興部、紋別からサロマ湖へと快適なドライブコースが続き、宗谷岬でのバイカー達もおそらくここらをツーリングしたはずだろう。

左側の写真:真ん中から左上に線路跡があり、右側の灯台を回り込むように走っていた。灯台と反対側にはオホーツク海が広がり、天候に恵まれれば季節を問わず、北に南に続く海岸線とともに雄大な風景が広がります。

休憩の10分が経過、高校生の乗った下りのバスが出発して、こちらは貸切状態で出発、でも時間が時間です、次の高校前から学生さんが乗ってきて、少し賑やかになった。でも20分程度で中頓別のバス停に到着し、先ほどの高校生たちは、全員ここで下車し、またまた10分間の時間調整となった。手前の下頓別もそうだが、ここも旧天北線の駅跡でバス停の前には、ちょっと痛々しいがローカル線用で極寒冷地ディーゼルカーであるキハ22が鎮座。

ここでは鬼志別や浜頓別と違い、切符売り場や大きな待合室があるわけではないので、運転手さんとしてバスの中で待機となる。
親戚の子供さんが吹奏楽部だったとかで、「10分くらいの演奏(多分コンクールの事だ)を聞いても何が良いのか悪いのわからないし、スポーツみたいにわかりやすくならないものかね?」要するに「やれー!」「それー!」と応援したい、ということらしい。他にも趣味はこんなだけどお宅はどうだとか、冬はこんなだとか、世間話だが、住んでいないとわからない大変さをたくさん知った。

そんな間に時間がきて出発、浜頓別からは山間部に向かって走るが、曲がり道が続くとか峠を越えるという感はない。天塩山地の東側、小高い山の間を縫い、たまに丘陵地ようなところを緩いアップダウンと大きなカーブが続く国道を一定の速度を保ち走って行く。五時を過ぎ、あと30分くらいで到着するらしい。稚内から音威子府まではおよそ160キロメートル、福岡からだと熊本県の八代市くらいの距離で時間にして四時間半弱くらい。これが路線バスっていうから相当驚いた(今更気づいたのか!)「昔は、休まず走っていたんだけども例のさ、バス事故が遭ったでしょ?それから今みたいに休憩時間をいれるようになっちゃったわけ」と笑った。音威子府駅前に到着後「例の食堂さ、その信号を左に行って10分くらい歩いたところ。右側にあるから」はい、ありがとうございます。それでは、行ってきます。