山陽線 山口を横断してみた⑦

岩国出発、乗った電車は、115系の3000番代2枚ドアのセミクロスシート車で、今では岩国から西でないと走っていないタイプです。イエローのモノカラーより、以前のアイボリーホワイトにレインボーラインの方が、かっこよかったのに無くなったのは残念だなーと、独り言。数分で9穴レンコンで有名な南岩国に到着。以前は上りの発着がここからでしたが、今は、一部を除き上り下りとも岩国からとなりました。
藤生、通津、由宇とふたことで言える語呂の良さそうな駅名が続く。途中の海水浴場から栗のように小さく先の尖った島が見えますが、この近くで、戦艦陸奥は沈んだらしい。

家々の間からチラチラと海が見え、神代(こうじろ)を過ぎると道路を挟んで瀬戸内海と間近に並走。左手前方に見える周防大島がだんだん大きく見え、海と空を隔てるように横切る大島大橋の下をくぐると大畠に到着です。
加速する事も無く、四国行きのフェリー乗り場が見えてきたところが柳井港の駅、神代からここまでで、ヨン、ゴ、ロク文字の駅名。街の中心部に入ってから、線路跡が並走する。構内に入ると電車留置線が備わった、少し大きい駅が柳井駅です。なまこ壁の古い街並みが残り、重文か何かがあるはずですが、観光的には控えめな街とも・・・言えるかもしれません。ただ、行ったことがあるのは数十年前で、そのときはお土産になにかの饅頭を買って帰りました。その柳井を出発し、海からも離れて田園風景の中、長めの間隔で停車していく田布施 岩田 島田(3文字の三連ちゃんです)

その昔、海水浴場で有名だった光を過ぎて、4〜5分走ると下松の手前、日立製作所 笠度工場が左手に。新幹線を作っているところでメタリックグリーンのE5系がみえました。すごーい長い鼻、さきっぽの丸い所をスケルトンにしたらすごい迫力だろうなーなんてしょーもない事を思いながら通り過ぎる。下松出発後、国道と並走、右手から岩徳線が合流してきて櫛ヶ浜(これまた、3、4、5文字のつながり)それから頭上からも新幹線も、左側の出光の精油プラント沿いに走ると徳山到着です。
4分停車後、在来線と新幹線の間の待機するディーゼルカーを横目に出発、少しして今度は複数の線路が見え始め、次の停車駅の新南陽駅まで続きます。EF210が1両だけ、「コキ100」はどこ行った?
ーなんて言っていたが、新幹線から見たここ数年の貨物ヤードは、草の生え放題、どうも取り扱いを止めたみたい。
福川駅の次が戸田(ヘタ)ですが、この駅が変わり者(あくまでも駅的にですが)3面ホームで4つの乗り場、全部ではないが、かつて(新幹線開通前には)急行も停車していた。2線ではないかと思われる貨物用の引込み線(跡)まで備えているくらいだから大きな駅だったはず・・・。だが、周りには集落というほどの家が無い。観光的に言えば湯田温泉、、、ちょっと強引かなあ?と思うほど遠い。駅舎周辺や反対側にも大きな空き地があるので(調べてはいませんが)工場らしきものあったかもしれません。考えると不思議な立場の駅、だとー思っています。(国道のそばでちょっと寄れます)
 
その不思議な駅を出て長いトンネルを抜けると再び瀬戸内海に出た。セパレートになった小さなトンネルをいくつか抜けながら海岸線に沿って走りますが、静かな海がまぶしい。その昔、東京からの寝台特急が朝方に通過する時間帯なので、瀬戸内(海)を入れて撮ると絵になる所の一つでした。

左に右に緩いカーブ抜けると家並みに囲まれた小さな漁港が見えてきた、読めそうで読めない富海(とのみ)駅に到着。三日月のような入江に位置して、夏場の海水浴シーズンしか訪問客がなさそうな漁村は、街並みはおろか跨線橋のある駅も昔のまんま。大林宣彦さんの映画かなんかに出てきてもおかしくない風景です。
集落の節々にその名残が残る、旧山陽道の富海宿。撮影場所を探しているうちに小ぶりながら端正で威厳のある神社を発見。ちょっと検索してみると厳島、宗像と並ぶ女神様を祀られているのにはちょっと驚いた。他にも旧跡があり、昭和以前の落ち着いた建屋並ぶ家並みは、もう少し整備する気があれば半日程度を滞在できる観光地にはなれるはずです。

海沿いから家々が目立つ手前から高架線となり、乗り場は上り下りの2本だけ、規模自体はかなり小さくなった防府に到着。ずっと昔は小郡から入れ替え用に機関車がやってきて貨物の入れ替えをやっていました。地上部分はもっと充実してると思われますが、下車しないので不明。駅を出発後、いままでとは違い明らかにスピードアップ、高架を下りて大道、四辻と田園風景の中を走ると右手に扇型の車庫が残る新山口駅に到着です。
あの「やまぐち号」の走る山口線の起点駅、以前は小郡って名乗っていました。ここで接続のため、隣ホームの電車に乗り換えです。
乗り換えには十分な時間ですが、うどんだ、そばだ、なんてものもなく、改札の方まで行って様子をうかがい、戻ってくる。「やっぱり、SLの運行日くらいが一番の賑わいかなあ・・・?」と思って腰をおろすと間も無く出発。嘉川、本由良、厚東と昔からの家並みをながめながら、宇部駅に停車する。山陽本線の駅は市街地から離れているため、中心部にはここから宇部線に乗り換えます。広めのヤードが残り、駅の西側にJR貨物の貨物ターミナルがあってコンテナがたくさん積まれていました。小野田線の分岐駅である小野田を出発すると左手に砂利道のような側道が見えはじめる。かつて貨物列車が往復した専用線の跡で途中から右に移り本線に沿って厚狭まで続きます。石灰石列車が行き交ったレールは撤去されて、跡地は草に覆われ、その賑わいを見ることはありません。駅手前にみどり色の鉄橋がそのまま残る次の駅、厚狭は、行政区としては元山陽町(今は山陽小野田市)さきほどの石灰石列車の荷役を担った機関車たちが多数在籍し、その機関区とそれらの貨物ヤードを備え、先ほどの専用線で宇部、小野田方面と北の美祢の間を行き交い、国鉄時代は特急も停車するほどの駅で鉄道設備としては一大拠点でした。今も新幹線が止まりますが、貨物の取り扱いは無くなり、機関区跡はソーラー発電所、町の北側にできた国道バイパスのためもあって駅前はのどかさが漂います。

(厚狭駅の)新幹線側が新たに整備されてはいますが、「これ!」という物はなく、「アサ」って聞いても知る人も少ないだろう。そのかわり--見方を変えると住むには良さそうーとも思う。雑踏と排気ガスが恋しい人には向きませんが、秋には虫の音が聞こえそうだし、慢性的な渋滞があるとも思えない。ドサクサに紛れてサックスの練習もシレっと出来るかもしれない。福岡近郊に比べて多分地価も安め(のはず)、畑をかりて土いじりもできそうだ。瀬戸内の海も近いし、秋吉台にハイキングも楽勝で、山陰海岸へもひと山越えてのドライブするにもいい距離だ。街が恋しくなっても新幹線だと福岡くらいなら「こだま」で行っても40分少々、そうじゃなくても車やバスでなんとかなる。空港が不便だが、年に何回乗るか?だったら大したことじゃあない。これで新幹線で小倉辺りに通うのだったら遅くまであるし、20分前後だ、空いていて、時間的にも良いところじゃないかなあ?とも思う。もちろん手当が出れば・・・の話ですが。

と数分停車の間に考えていた厚狭駅を出発。正面にオートレース場が見える埴生、国道が見え隠れし、家並みが目立ちはじめて日清食品だのシマノの工場がある小月に停車していく。有名な武家屋敷のある長府、元は長門一ノ宮と名乗った新下関を過ぎると山陰線との分岐駅で車輌整備を行う工場(工場とは言わないかも?)がある幡生と来るともう終着駅もすぐそこです。大きな貨物ヤードを右手に見ながら東方へ向かうEF210の機関車群が見えてきて速度を落とし始めてホームに入線、下関に到着です。
昔ながらのホーム数がもったいないので山陰線に特急「まつかぜ」を復活させたら楽しいのに。博多からJR West持ちで4両編成のディーゼルカーを仕立て、下関で増結2両の米子行き、です。食堂車の「キロシ」かなんかをくっ付ければ、あの「瑞風」出なくても楽しめると思いますが、どうでしょう?